仕事をリタイアするときに、これまでもう十分に頑張ってきたのだから、リタイア後は「頑張らない」ようにしようと考えました。
それは、仕事では、しんどい思いをすることも多かったからだと思います。
そのことを意識するあまり、リタイア後に何かをしている際、「ああ、また頑張りすぎている。頑張らないようにしなければ」と思うことが結構ありました。
でも、近頃、この思考の仕方は「何か間違っている」と違和感を感じるようになってきました。
そこで、もう一度、どうして自分がリタイア後は「頑張らない」ようにしようと考えたのかに立ち返ってみることにしました。
そうすると、自分が「頑張る」という言葉の中に、本来の意味ではない「一所懸命やる」「集中してやる」などの一つのことにエネルギーを傾けることまで含んでしまっていることに気付きました。

そもそもが、「頑張る」とは「困難にめげないで我慢してやり抜く」という意味です。
ここで大切なのは、「我慢して」という要素です。
そう、自分がリタイア後にやめたかったのは、この「我慢して」というところだったのです。
要は、もう無理をしてまでやりたくないことはしたくないというのが、自分が「頑張らない」ようにしようと考えた真意でした。
にもかかわらず、リタイアしたことで、そういった「我慢して」「無理をしてまで」何かをやらなければならないというシチュエーションが減ったことから、自分で勝手に「頑張る」を拡大解釈して、「一所懸命やる」「集中してやる」などまで含めてしまっていたのです。
それで、家事でも何でも良いのですが、何かをしていて、少し「一所懸命」になっていたり、気が付けば「集中して」いたりすると、「ああ、また頑張ってしまっている」と自分で自分の行動に歯止めをかけようとしてしまっていました。
でも、夢中になってやった結果、少し「一所懸命」になっていたり、気が付けば「集中して」いたりすることは、何の問題もなく、むしろ楽しんでいるのですから、これに歯止めをかける必要など全くないのです。
これは、ある意味仕事をしていたときの弊害なのかもしれません。
仕事をしているときは、「我慢して」「無理をしてまで」やっているのを自分自身に誤魔化すために、ただ「一所懸命」になっているだけとか、「集中して」やっているだけと思い込むようにしていたのが、ここにきて誤作動してしまったようです。
このようなことから、前記のようにもともと「頑張る」には「我慢して」という意味が含まれているのですが、単に「頑張らないように」とすると今後も誤作動してしまうおそれがあるので、自分流にアレンジして「『無理をしてまで』頑張らないように」することにしました。
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