面倒くさがり屋と楽しみ下手

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昔から手間のかかること面倒なこと好きではありません。あと、お店に入るためなど、とにかく並んで待つのも嫌いです。
自他共に認める、「面倒くさがり屋」です。
今年の3月初めに参加した同窓会では、同級生からも、「お前は、高校生の時から、口癖が『面倒くさい』だった」と指摘されました。

面倒くさがり屋」でしたが、それでも昔は好奇心が旺盛だったので、誘われればそれが面倒くさそうなことであっても「面倒くさい」と言いながらも、その誘いに乗って行動していました。来る者拒まず的なところがありました。
なので、サッカーもしていたし、みんなで旅行に行ったり、一緒にゲームをしたり、バンドを組んでみたりと、それなりに色々なことをやって楽しんでいました。
決して「楽しみ下手ではなかったと思います。

その後、「面倒くさがり屋」なところは変わらないままに、働くようになったのですが、その仕事他人の面倒事を解決したり、解決するのを手伝う仕事でした。
そのためか、プライベートでは、極力手間のかかること面倒なこと避けるようになりました。
それでなくでも、仕事でそちら方面に必要なエネルギーを存分に使っていたので、プライベートではもう勘弁して欲しいと思っていました。
しかし、そのようにしているうちに、何をしていてもあまり楽しめなくなっていきました。
気が付けば、「楽しみ下手」になっていました。

このように、リタイア前は、「面倒くさがり屋」の「楽しみ下手」になってしまっていました。
昔を振り返ってみれば、楽しいことは、「面倒くさい」と言いながらもやっていた手間のかかること面倒なことの中に多くありました。
どうやら個人的には、簡単にできることよりも、少し手間がかかって面倒くさいことの方が面白くて、楽しいと思えるようです。
なのに、手間のかかることや面倒なことを避けていれば、「楽しみ下手」になるのも当然です。
また、あまりに楽しみを感じない期間が長く続くと、楽しみを感じるセンサーが鈍くなってしまって、より楽しみを感じにくくなるようです。

リタイア後の生活では、この「面倒くさがり屋」の「楽しみ下手」からは脱却したいと考えました。
面倒くさがり屋」なところは、そう簡単には変えることができませんが、昔のようにそれでも色々なことに好奇心をもって行動することで、「楽しみ下手」は克服できるような気がしています。
あとは、楽しむことの期待値を上げ過ぎず、ほんの些細なことにも楽しみを見つけられるよう楽しみを感じるセンサー敏感にしていければと考えています。
このように、現在は、「楽しみ下手」からの脱却を実践中です。

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