自己満足

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自己満足」というものを強く意識するようになったのは、働くようになってからだと思います。
それまでは、ある程度自分のやりたいことを、自分のやりたいようにできていたので、特に意識する必要がなかっただけなのかもしれません。
しかし、働くようになってからは、他人からの要求に応える必要が増えました。
自分の中で、そもそも仕事というものの本質は、他人からの要求に応えるものだと考えていました。

そして、はじめのうちは、その他人からの要求に応えるのに一杯いっぱいで、それ以外のことを考える余裕はありませんでした。
そのうちに何とか他人からの要求に最低限応えられるようになり、どうせやるのなら自分のやりたいようにやりたいという気持ちが少しずつ湧いてきました。
仕事をする中での「自己満足」を求めるようになっていったのだと思います。

自分の場合には、「開き直る力」でも書いたように、まずは完璧主義に陥り、その後にその時々の自分のできる限りのことをやろうと考えるようになり、これを実践しました。
その裏側には、他人からの要求に十分に応えるという以上に自分自身が後悔をしたくないという気持ちがありました。
仕事をしていて、「こういうことができるかもしれない」と思いついたのに、それをやらなかった場合に、後日「どうしてあのとき、思いついたのにやらなかったのだろう」と後悔するのが嫌だったのです。

そして、それが「自己満足」にすぎないものだということを次第に意識するようになっていきました。
というのも、周りから、「そこまでする必要はない」という趣旨のことを言われることが増えていったからです。
これは、他人からの要求に応えるだけであれば、そこまでやる必要はないという内容のことを自分がやっているように見えたからだと思います。
自分でも、その自覚はありました。
しかし、自分の後悔をしたくないという気持ち無視することができませんでした。
そのことでクヨクヨとして、寝覚めが悪くなるのは避けたいと思っていました。

このように自分は、仕事をする中で、これは「自己満足」にすぎないかもしれないと思いながらも、自分のやりたいようにやるようになっていきました。
そして、リタイアするまで、これを貫きました。
自己満足」というものが背後にあったので、上手く開き直ることのできないことがあったのかもしれません。

リタイアしてからの生活においては、他人からの要求というものが激減したので、毎日やっていることのほとんどのことが「自己満足」するためのものになっていると思います。
なのでリタイア生活においては、それまで以上に「自己満足」というものが重要になっていると考えています。
リタイア生活では毎日、一日何をして過ごすのかを自分で決めて、自分で行動するときの指標となるのが「自己満足」を得られるかどうかです。
そこれによって、毎日を楽しく過ごせるかどうかが変わってくるように思います。

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