考えること、感じること

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ここで言う「考えること」とは、すなわち「思考すること」です。
また、「感じること」とは、「自分の感情を受け入れること」です。

リタイアする前仕事中心の生活では、間違いなく「感じること」よりも「考えること」を優先していました。
常に先のこと、それも仕事のことばかり考えていました。
当然、自分にも感情はあるのですが、これを「感じること」を避けるだけでなくて、「考えること」でこれを抑え込んでいたきらいすらあります。
特に、仕事の邪魔になるマイナスの感情を「思考」というか「理屈」によって抑え込んでいました。

思うに、そもそもプラスの感情というものは、心に余裕がないと段々とそれを感じるセンサーが鈍くなっていきます。
これに対して、マイナスの感情は、逆に心に余裕がない容赦なく襲ってきます。

仕事をしていると、「嫌だ」とか「辛い」という感情が自分の中に常駐するようになり、これが「やりたくない」という気持ちを作り出していきます。
そんなとき、自分は、「考えること」でこの気持ちを抑え込んでいました。
例えば、もともと人間の脳は省エネにできていて現状維持機能があるため、新しいことや難しいことを目の前にすると、マイナスの感情を作り出すことで、それらに挑戦することを拒もうとする。だから、「嫌だ」とか「辛い」とか思うのは当然のことなので、これにあらがわければならない、といった感じでそれらの感情を抑え込んでいました。

このようにして、リタイア前には、「感じること」をおろそかにし、「考えること」を優先して仕事を中心にした生活を何とかやり繰りしていました。
その結果、「感じること」のうちでもプラスの感情を感じるセンサーが次第に鈍くなっていき、終いにはほとんど機能しなくなっていたように思います。
楽しみ」や「幸せ」は、そもそも「感じること」なのに、これらも何とかして「考えること」で得ようとしていました。
今から思うと、とんだ勘違いなのですが、当時は真面目にそう考えていました。
そのため、どうしたら「楽しみ」や「幸せ」を得られるのだろうと、その手の自己啓発本を読むなどして一所懸命考えていました。
しかし、当たり前ですが、「考えること」では、「楽しみ」や「幸せ」は得られませんでした。

このようにしてリタイア前は、「考えること」を優先した仕事中心の生活を送り、そこでも「充実感」や「達成感」といったものは得られていたのですが、それは自分が望んでいる「楽しみ」や「幸せ」とは似て非なるものでした。
そして、リタイアしてから、「楽しみ」や「幸せ」は感じるものであって、「考えること」では得られないということを知りました。
知ったというと、語弊があるかもしれません。仕事をする前は、無意識にではあっても分かっていたことですから、思い出したとか再認識したという方が適切だと思います。

しかし、リタイア生活に入ったからといって、いったん鈍り切ってしまっていたプラスの感情を感じるセンサーは、直ぐには元には戻りません
これに関しては、少しずつ心の余裕を取り戻すことで、センサーを回復させていくしかありません。
そして、心に余裕を取り戻していく過程でも、マイナスの感情容赦なく襲ってきます
しかし、これをこれまでのように「考えること」で抑え込んでしまっては、リタイア前の二の舞になるので、マイナスの感情についてもありのまま受け入れることにしました。

現状がどんな感じかというと、だいぶん心に余裕ができてきたのか、やっとプラスの感情を感じるセンサー機能するようになってきました。
なので、まだわずかではありますが「楽しみ」を感じられる状況が出てきています。
ですが、比率的にはマイナスの感情を感じることの方が圧倒的に多いので、できるだけこれを「考えること」で抑え込まないように尽力しているところです。
この「感じること」の回復が、自分のリタイア生活における課題の一つです。

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