楽しみ上手な人

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前に「面倒くさがり屋と楽しみ下手」でも書きましたが、自分は元々は「面倒くさがり屋」であっても、「楽しみ下手」ではなかったと思うのですが、、働くようになってからは、極力手間のかかること面倒なこと避けるようになり、気が付けばリタイア前は、「面倒くさがり屋」の「楽しみ下手」になってしまっていました。

そして、現在は「楽しみ下手」からの脱却を実践中なのですが、自分の周りには「楽しみ上手な人」がそれなりにいることに気付きました。
そこで、それらの「楽しみ上手な人」と自分との違いについて考えてみました。
そして、その違い、「楽しみ上手な人」と「楽しみ下手」との分かれ目については、次のように考えるに至っています。
それは、自分にとって楽しそうなこと、やってみたいと思うことがあったときに、「何とかしてやろうとするか「そこまで無理をしてまで」と考えてやめてしまうかの違いにあるということです。

例えば、自分の好きなアーティストのコンサート遠方であるような場合、自分ならその日の予定が丸々空いていないと諦めてしまいます。
しかし、自分の知っている「楽しみ上手な人」は、「何とかして」行こうとします。
コンサートが夜からであれば、仕事を定時に終えてから急いで電車に乗り、何とか開演までにコンサート会場にたどり着きます。そして、一泊しても、翌日の早朝にはチェックアウトして、午後からは仕事に出ます。
中には、一泊せずに、深夜バスで戻ってきて、朝から出勤するという強者もいます。
自分の場合には、「そこまで無理をしてまで」行こうとはなかなか考えられません。

また、登山に行く場合、人気のある山であれば、登山口に近い駐車場は非常に混雑します。
朝一で家を出ても、そもそも駐車できない可能性が高く、仮に駐車できたとしても長時間待たなければなりません。
そこで、自分の知っている「楽しみ上手な人」は、前日の夜に出て、その登山口に近い駐車場で車中泊をします。
その駐車場が夜は閉鎖されている場合には、その駐車場近くの別の場所で車中泊をして、朝一で駐車場が開くのを待ちます。
自分の場合は、やはり「そこまで無理をしてまで」行こうとは思いません。

この「何とかしてやろうとするか「そこまで無理してまで」と考えてやめてしまうかというのが大きいと思います。
そもそも、「そこまで無理をしてまでやりたいと思うこと自分にはないのだろうかとも考えました。
しかし、自分の知っている「楽しみ上手な人」たちも、自分にとって楽しそうなこと、やってみたいと思うことへの執着がそれほど強いわけではないということが話していると分かります。
彼らも、さすがに無茶はしません。ただ、自分たちが「何とかなりそう」、「何とかできそう」と考える場合には、それを「無理をしてまでやっているとは考えていないだけに見えます。

要は、自分慎重にあれこれと考えすぎて、融通が利かず柔軟性を欠きフットワークが重いだけのようです。
それに対して、「楽しみ上手な人」は、自分の欲求に正直で、「何とかなりそう」、「何とかできそう」と思えば柔軟にやれる方法を考えて、フットワーク軽く動くことができるのだと思います。
彼らのフットワークが軽いことだけは間違いがありません。
だとすれば、柔軟性をもってフットワーク軽く動けるようになることが、今後自分が「楽しみ上手な人」になるための課題の一つだということになります。

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