一口に「年齢」と言っても、いろいろな捉え方があります。
個人的には、「暦年齢」「肉体年齢」「精神年齢」の三つを考えることが多いように思います。
まず、「暦年齢」は、生まれてからこれまでに過ごした年月による「年齢」です。
一般的に「年齢」と言えば、この「暦年齢」を指すことが多いでしょう。
社会生活ではこれを基準に物事の決められていることが多いので、意識せざるを得ません。
仕事をしているときは、この「暦年齢」を基準にして、人間関係なども構築されていたように思います。
この「暦年齢」に応じて、「新人」「中堅」「ベテラン」などと呼ばれるようになります。
自分の場合も、長年仕事を続けていると、自分では意識をしていなくても、気が付けば周りから「中堅」と呼ばれるようになり、さらには「ベテラン」と呼ばれるようになっていました。
リタイアしてからは、60歳を迎えた際に、この「暦年齢」というものを強く意識させられました。
「還暦」を迎えたということで、友人知人らからお祝いパーティーをしてもらったり、「還暦」記念ということで高校の同窓会が催されたりしました。
あとは、シネコンに映画を観に行く際に「シニア割引」が受けられるようになりました。
このように、自分にとって「暦年齢」は、自分では普段あまり意識しておらず、周りから意識させられるものです。

次に、「肉体年齢」ですが、これは一定の場面で自ら意識することがありました。
20代まではほとんど意識したことはありませんでしたが、35歳からサッカーを始めた際には、強く意識させられました。
高校時代にやっていたサッカーを、20代後半に再びやったときには、それほど運動能力の衰えも大きくなかったので、とりたてて「肉体年齢」を意識はしませんでした。
しかし、35歳から三度サッカーを始めた際には、30歳を超えてからの運動不足による運動能力の衰えとともに、肉体そのものの衰えを痛切に感じました。
このときには、久しぶりにやったにもかかわらず、昔の調子で走ったり蹴ったりしたところ、太股の肉離れを起こしてしまいました。
その後、50歳過ぎまでサッカーを続けたので、肉体の衰えは多少は食い止められていたと思います。
ただ、年々自分が頭で思っているように動けなくなっていき、とにかく大怪我をしないように気を遣うようになったので、「肉体年齢」を感じずにはいられませんでした。
サッカーをやめてから、前にも書いたように減量して体型を変えました。
そして、できるだけ歩くようにして、軽い筋トレもするようになりました。
リタイアしてからも、朝の散歩と軽い筋トレは続けており、体型も維持できていますので、「暦年齢」より「肉体年齢」を少しは若く保つことができているように思います。
しかし、ちょっとしたことで足や腰などが痛くなったりするので、「肉体年齢」が進んでいることは日々感じています。
この「肉体年齢」については、進むのを少しでも遅らせることが目標です。
できるだけ長く、自分の思ったように動き回りたいと考えています。
最後は、「精神年齢」です。
個人的には、これが一番若いままだと思います。
精神的に若いままだと言えば良いように聞こえますが、要するに精神的にあまり成長していないということです。
それでも、さすがに学生のころや働き始めたころよりは成長しているので、自分の「精神年齢」が二十代や三十代のままだとは言いません。
それでも、自分としては四十代前半くらいで止まっているような気がします。
まだ、色々なことに好奇心を持ち、常に何か新しいこと、自分の能力を試すことのできる新しい挑戦がないかを探すことができており、それは自分の「精神年齢」が四十代前半のころと変わっていないからだと思います。
自分としては、「暦年齢」はあまり意識せず、「肉体年齢」はできるだけ進むのを遅らせ、この「精神年齢」は今のままの若さを保っていたいです。
リタイア生活を楽しむためには、色々なことに好奇心を持ち、新しいことなどに挑戦して行動することが重要なので、「精神年齢」は若いままでいる必要があると考えるからです。
この「精神年齢」が進むことで、人間は老け込んでいくものなのではないかと思います。
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