物事をするにあたって、「好き嫌い」「才能やセンスの有無」などとともに、「向き不向き」ということがよく言われます。
このうち「好き嫌い」については、当人の主観的な感情に基づくものであり、もともとは好きであったことでも、やっているうちに嫌いになったり、またその逆もあると思います。
「才能やセンスの有無」については、生まれつき持っているもの、後天的に身につくものなどが考えられますが、個人的には遺伝的な一部のものを除けば、あとはあまりあてにならないと思っています。
これらに対して、自分がこれまで生きてきた経験の中で、これは確かにあるのではないかと考えているのが、「向き不向き」です。
特に、リタイア前に仕事をしているときに、この「向き不向き」があることを強く感じました。
そして、それは「好き嫌い」とか「才能やセンスの有無」とは関係なく存在するように思います。
本人はすごく好きなのに向いていない仕事、十分に才能はあるのに実際にやってみると向いていない仕事というのは、自分が知る限りでは確かに存在していました。
自分がリタイア前にやっていた仕事は、あまり好きではなく、それほど才能やセンスに恵まれていたわけではありませんが、自分には向いている仕事でした。
だからこそ、20年以上も続けられたのだと思います。

そして、リタイア生活を2年以上送ってきた経験から、リタイア生活を送るにあたっても、この「向き不向き」というものがあるように思います。
リタイア生活に向いている人の特徴としては、次の3つが考えられます。
まず1つ目は、他人と違うことをしていても気にならない、他人の評価を気にしないことです。
これは、特に一般的な定年退職年齢よりも早くリタイアした場合に必要です。
周りの同年代の人たちとは違うことをするわけですから、それを気にする人には向いていません。
場合によっては変人扱いされることもあるぐらいですから、一々他人の目を気にするような人も向いていません。
自分に当てはめると、この点はクリアーしています。
どちらかと言えば、いつも他人と同じことをすることの方が嫌いだったので、大多数の人たちと違うことをしていても全く気になりません。
そんな感じなので、おそらく周りからは昔から変人扱いされてきたように思いますが、それももう慣れっこで、気にはなりません。
次に2つ目は、孤独感や不安などを紛らわすために他人と一緒にいる必要がなく、一人で何とか紛らわすことができることです。
人は誰しも、孤独感や何かしらの不安、恐怖心を持って生きているものだと思います。
そして、それらに心を囚われないように、何らかの形で紛らわせながら生きています。
その際に、誰かと一緒にいないと紛らわせることができない人は、向いていません。リタイアすれば、一人きりで過ごす時間というものを避けることはできないからです。
自分に当てはめると、この点もクリアーできています。
リタイア前には、自分はこの点が一番問題だと思っていました。
自分は生来的にお喋りなので、他人と喋ることで、孤独感等を紛らわせていることが多かったからです。
しかし、リタイアしてみると、喋る相手がいなくても、一人で本を読んだり、アニメを見たり、映画を見たりすることで、十分に孤独感等を紛らわせることができることが分かりました。
他人とのお喋りは時々できれば十分で、実は他人と一緒にいると、かなり気を遣って気疲れしていたことに気が付きました。
最後に3つ目が、自分で決めて、自分で行動できることです。
リタイアすると、誰も自分のやることを決めてくれません。また、自分のために誰かが動いてくれるわけではないので、何かしたければ自分で行動するほかありません。
なので、これらの苦手な人は、リタイアすると一日中何もせずにぼっーと過ごすことしかできなくなるおそれがあり、向いていません。
自分に当てはめると、この点もクリアーしています。
もともと他人に決められたことをやるのが嫌いで、何でも自分で決めないと気が済まない性分でした。
また、何でもとりあえずは自分でやってみないと気が済まない性分でもありました。
なので、リタイア前から、ほとんどのことを自分で決めて、自分で行動していたので、この点でリタイア後に不自由することは全くありません。
このように自分の場合には、リタイア生活には、どちらかと言えば「向いている」のだと思います。
だからこそ、既にこの生活も3年目に入っているのです。
もし、向いていなければ、早くに仕事に復帰していたと思います。
かなり偏った個人的な見解なので、あまり参考にはならないかもしれませんが、リタイア生活に「向いていない人」は、無理をしてリタイアをせずに、何らかの形で仕事を継続した方が幸せなのではないかと思います。
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