アーリーリタイアと言われるけれど……

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周囲の人たちからは、よく「アーリー(早期)リタイアですね」と言われます。
しかし、自分としては、さすがに「アーリー(早期)」ではないだろうと考えています。

自分が子供のころは、会社勤めをしている人や公務員の定年退職年齢55歳でした。
その後、自分が大学を卒業する少し前に、定年を60歳とすることが努力義務とされ、これが法的に義務化されたのは1998年のことでした。
なので、自分がリタイアした58歳というが、「早期」ではないという感覚は、自分からすれば決しておかしくはないと思っています。

確かに、2000年には定年を65歳とすることが努力義務とされ、そして2013年には65歳までの継続雇用が法的に義務化されたので、その流れの中で言えば、58歳というのは「若干早い」のかもしれません。それでも「若干」に過ぎないので、58歳で「アーリー(早期)リタイア」と言われるのには、抵抗があります。

そもそもが、自分の考えているリタイアというのは、物心がついたときには既に何となく暗黙のうちに決められていた生き方、当たり前のように学校に行って、卒業したら働くという大多数の人たちが乗っかっている既定路線から一旦降りてみることを意味します。
そこで一旦立ち止まって、その先の生き方もう一度考えてみる機会を作るのが、自分の考えているリタイアです。
それで、もう一度仕事をしようと決めれば、すれば良いし、他にしたいことがあれば、やってみれば良いし、もう特に何もしたくなければダラダラと過ごしても良いと考えています。
このように言うと語弊があるのかもしれませんが、要は残された自分の持ち時間の使い方を、自分で決めるための機会や時間を作るということです。

そして、自分としては元々は48歳でのリタイアを考えていました。
48歳でのリタイアを考えていたのは、それが自分亡くなった母親が発病した年齢であったことが強く影響していると思います。
人生でやっておくべきことがあるならば、それまでに、それらを一通りは済ませておきたいと考えていました。
あとは、30代の終わりに独立して自分で仕事を始めたのですが、これが心身ともにかなりハードだったので、これは10年は持たないと思い、48歳までと期限を設定することで、そこまでは全速力で駆け抜けようと思いました。
そして、実際に48歳になった時点で、ギリギリ何とかリタイアできる状態になっていました。
このときにリタイアしていれば、「アーリー(早期)リタイア」と言われても、今ほどは抵抗がなかったかもしれません。

しかし、実際には、それから10年間は仕事を続けました。
まだやり残していたというか、やってみたいと思っていた仕事があり、それまでに仕事をしてくる中でそれなりに責任のある立場にもいたので、48歳でやめると色々と後悔が残ると考えました。
今から思うと、ここからの10年間は仕事をやめずに続けておいて正解でした。
やりたかった仕事をすることができたことで、自分自身の満足感を充たすことができました。と同時に、自分はそれほど強くは持っていなかったとは思うのですが、いわゆる承認欲求というものも充たすことができました。
なので、58歳でのリタイアについては、ほぼ2年が経った今でも、全く後悔はしていません

ただ、唯一「アーリー(早期)リタイアですね」と言われると、「いえいえ、『アーリー(早期)』ではないですよ」と反論したくなってしまうのです。




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