やりたいこと・やりがいは必要か?

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書店に行けば、自分の「やりたいこと」や「やりがい」を探すための指南書的な内容の書籍がたくさん並び、ネットでもこれらに関する記事が多く見られます。
中には、「自分探し」的な内容になっているものも見受けられます。

そして、世の中にも、「やりいこと」や「やりがい」のあることが良いことであるとか、もっと言えば、これらがあるのが当たり前であるという考えが蔓延しているように思います。
個人的には、こういった風潮には、少し抵抗を覚えてしまいます。
本当に「やりたいこと」や「やりがい」といったものは必要なのだろうかということは、リタイアする前から考えていました。

リタイアする前によく目にしたのは、「やりたいこと」を仕事にするにはどうすれば良いのか、「やりがい」のある仕事に就くにはどうすれば良いのかといった内容の書籍や記事などでした。

個人的には、これが自分の「やりたいこと」であると言い切れることのある人それほど多くはないと思っています。
また仮に、それがあったとして、それを仕事にするのが良いのかどうかは別問題だとも思います。
人の「やりたいこと」はあったとしても、年齢や環境等によって変わっていくものだと思うので、ある時点での自分の「やりたいこと」を仕事にできたとして、その後それが「やりたくないこと」になり、別にやりたいこと」が出てきたらどうするのだろうと、少し意地悪なことを考えてしまいます。
無理をしてやりたくないこと仕事にする必要はないと思いますが、自分の場合には、仕事に関しては「向き・不向き」の方が大切な気がします。

やりがい」のある仕事に就くことに関しては、学生時代の経験だけで、ある仕事が「やりがい」のあるものか否かを判断することは、まず不可能だと思います。
そもそも「やりがい」というもの自体が何なのか、そのようなものが本当に存在するのかすら分かりません。個人的には、その人の思い込みに過ぎないような気がします。
とりあえずやってみないことには、何も分かりません。
そうしてある程度の期間継続してやっていくうちに、「やりがい」があると感じられる人、思い込める人が出てくるのかもしれません。

自分の場合には、就いた仕事は、特に「やりたいこと」ではありませんでした。
資格試験には合格してみたいと思っていたので、受験自体は「やりたいこと」だったのかもしれませんが、その先にある仕事については、別に「やりたいこと」だとは考えていませんでした。
なので、仕事については、とりあえずやってみたら、まあまあ向いていたので、それなりに続いたという感じです。
そして、やっていて、特に「やりがい」を感じたこともありませんでした。
自分に向いている仕事を淡々とやりつつ、飽きないようにあれこれと工夫をしていたら四半世紀以上が経っていたというところです。

リタイアしてからは、さらにリタイア生活を「セカンドライフ」と捉え、それまでは色々なことに我慢してきたのだから、「セカンドライフ」では自分の本当に「やりたいこと」をやりましょうとか、お金ではなく「やりがい」のあることを見つけましょうなどと煽る書籍や記事がやたらと目に付くようになりました。
そういったものに煽られて、一所懸命、「やりたいこと」や「やりがい探しをしている方が案外多いのかもしれません。

個人的には、本当に「やりたいこと」とか「やりがい」ってなければならないものなのか疑問に思ってしまいます。
確かに、あればあったで邪魔になるものではないのでかまわないのですが、これらが必須のものであると言われると強い違和感を感じます。
あたかも、それらはあるのが当たり前で、ないのはおかしいと言わんばかりの書籍や記事等を見ると、どういう根拠でそこまで言うのか、強迫観念を植え付けようとするのかと思ってしまいます。
要は、「楽しく」過ごしたいということが根本にあるのだろうと思います。
そうだとすれば、「楽しく」過ごすのために、必ずしも「やりたいこと」や「やりがい」が必要だとは思えません。
自分にとって「やりたいこと」や「やりがい」は、それらがあれば、多少は「楽しく過ごし易くはなるだろうから、それらが必要だと思う人は探してみても良いのではと思う程度のものです。
無理をしてまで、探す必要のあるものではないと思います。
そもそも「楽しい」の基準自体が人それぞれなので、一律に考える方がおかしい気がしています。


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